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仙台地方裁判所 昭和45年(行ウ)1号 判決

原告

千田武男

被告

厚生大臣

指定代理人

村重慶一

外四名

主文

一、被告が昭和三六年八月三〇日戦傷病者戦没者遺族等援護法にもとづく原告の障害年金請求を却下した処分は無効であることを確認する。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者双方の申立、事実上および法律上の主張は別紙要約調書のとおりである。

第二  証拠〈略〉

理由

一、原告は陸軍砲兵伍長勤務上等兵として「サガレン」に派遣中の大正一〇年一二月一〇日、「サガレン」亜港独立山砲第一中隊第一分隊の兵舎内において、分隊長砲兵伍長会田照雄の命により兵器携帯品の整備をしていたところ、同じく装備点検中の同僚である砲兵上等兵清水龍蔵が誤つて拳銃を暴発させたため、その弾丸を身体に受け、左拇指爪根部貫通および左膝関部盲貫銃創の重傷を負つたこと、軍病院において直ちに左膝関部の切開手術を行なつたところ、弾丸が骨髄中に入つており、その摘出には重大な危険が伴うと診断されたため、拇指の治療と膝関部の弾道の消毒のみ行われたこと、原告はその後四ケ月の治療を受けて、大正一一年七月一二日原隊(宮城野原独立山砲兵第一連隊)に帰還し、同年一一月三〇日帰休除隊、大正一二年一二月七日朝鮮総督府巡査となり、終戦により昭和二〇年一二月一日本籍地(宮城県本吉郡本吉町)に引揚げたこと、昭和三五年三月三日原告は宮城県民生労働部世話課(現民生部社会課)を経由して厚生大臣に対し、前記「サガレン」で受傷した拇指および左膝関部の疼痛、頭痛、身体の強直、けいれんおよび不眠症等の症状があることを理由として、戦傷病者戦没者遺族等援護法(以下援護法という)にもとづき、恩給法(大正十二年法律第四八号)別表第一号表の二に定める第六項症に該当する症状に対する障害年金を交付するよう請求したところ、昭和三六年八月三〇日原告の傷病は援護法に規定する公務に起因して発病したものとは認められないとの理由で棄却されたこと、同年一〇月一八日原告は援護法にもとづいて厚生大臣に対し不服申立をしたところ、昭和三八年六月二六日右申立を棄却する旨の裁決がなされたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二、原告は、原告の前記傷病は、「サガレン」における拳銃の暴発事故によるものであり、右事故は明らかに援護法第七条第一項、同第四条第一項により準用される恩給法(昭和二一年法律第三一号による改正前の法律、以下単に恩給法というときはこれを指す。)第四九条の「準戦闘行為」もしくは少くとも「普通公務」に該当するものというべきであるから、原告の障害年金請求を棄却した処分は無効であると主張するのに対し、被告は、①原告の傷害は、同僚兵が拳銃操作上の基本的事項を遵守すべきであつたにもかかわらず、これを怠つた重大な過失により、不法に原告に対して与えたものであつて、かかる拳銃暴発による傷害は公務遂行を原因条件として生ずると客観的に予測されるものではないのであるから、当該傷害と公務との間に相当因果関係は認められないこと、②軍人たる身分や職責を持つていたことが不慮の災難を招く原因となり、これによつて生じた傷害とはいえないから、援護法第四条第一項の規定により公務上負傷したものとみなすことはできないこと、③原告の傷病は、恩給法別表第一号表の二に定める程度の不具廃疾の状態に達しないことを理由として、本件処分には重大かつ明白な瑕疵は存しないと主張する。

三、そこでまず、前記①の点について判断する。

1  本件暴発事故当時の状況について検討するに、〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

(イ)  当時、「サガレン」亜港(アレクサンドルフスク)独立山砲兵隊は、日本から派遣された軍隊全部の軍事郵便物の逓送事務を分担し、原告が所属していた第一中隊第一分隊は、隊長から指名された三名一組の隊員をもつて亜港1「テルビンスコエ」間の郵便物輸送の業務を二泊三日の日程で行つていた。

(ロ)  逓送隊は夏季は輜重車を、冬季は馬橇を利用して輸送に当つていたが、通過する地域はすべてロシア人の居住地であり、村落間は2.30キロメートルも離れ人家も少ないため、途中来襲を受ける慮れがあるので、逓送勤務を指名された者は兵器係より貸与を受けた二六年式拳銃を携行していた。そして任務が終了したのち、逓送隊員は、拳銃の分解掃除、給油、激発装置等の調整をして、実包(弾丸)の使用の有無を確かめたうえ、兵器係に返納することとなつていた。

(ハ)  事故当日(大正一〇年一二月一〇日)は冬季で積雪が深かつたため、兵舎内における訓練作業が多く、昼食後分隊長の命令で分隊員全員(約三〇名)が兵舎内において騎銃、銃剣軍靴、軍帽軍衣袴その他の整備(手入調整、補修、給油、分解掃除等)をおこなつていた際、上等兵清水龍蔵は、拳銃を返納するためその整備、点検をしていたところ、既に六連発の弾巣から弾丸を全部抜き取つたものと感違いをし引き金を引いたため、弾巣に残つていた弾丸が発射され、同人の近くで同じく整備作業をしていた原告の身体に命中し、前記傷害を負わせた。

2  右事実からすれば、本件事故はたしかに偶発的ではあるが、軍隊の内部における日常の軍務作業中に生じた事故であつて、いわば公務遂行中の事故であること、かかる兵器の整備点検はその性質上、たえず危険を伴う作業であり、とくに原告所属の分隊においては、いわば敵国地域内における軍事郵便物の輸送という危険な業務を遂行するため、拳銃の携行は必要不可欠であつたこと等の事情をあわせ考えればその携行中はもちろん、その装備点検中にかかる暴発事故が発生することは、客観的に決して予測不可能な出来事とはいえないものと解すべきである。

3  このことは本件事故が原告の同僚兵の重大な過失によつて惹起されたことと相容れない関係に立つものではない。

すなわち公務員が公務遂行中に、同一の公務を担当する他の公務員の重大な過失によつて惹起された事故により災害を蒙つた場合においても、当該公務が客観的にみて担当者の生命身体に危険を及ぼす可能性を有している以上は、公務起因性を否定する理由はないものと解される。そしてこの理論は、不法行為の使用者責任に関する民法第七一五条における業務起因性の要件が、むしろ外観理論によつて緩和されほとんど業務遂行性と同一意義を有するに過ぎなくなつていることに通じるのであり、企業内部における労災事故の場合においても、それが他の従業員の業務執行における重大な過失によつて惹起された場合には、その業務起因性を肯定し、使用者の責任を認むべきことはむしろ当然であつて、このように解することが労働者災害補償保険法、国家公務員災害補償法等の立法趣旨にも合致するものと解せられる。

4  このような見地から援護法について考えると、同法は、軍人軍属等の公務上の負傷もしくは疾病又は死亡に関し、国家補償の精神に基き、軍人軍属等であつた者又はこれらの者の遺族を援護することを目的として(同法第一条)昭和二七年制定されたものであり、具体的には公務傷病の程度に応じて障害年金、障害一時金もしくは遺族年金、遺族給与金等を支給することを定めたものである。そして公務傷病の範囲を定めた同法第四条の規定と欠格事由を定めた同法第一一条第一項、同法第二九条第一項の各規定を照らしあわせて考えると、軍人軍属が公務遂行中、同僚の重大な過失によつて惹起された事故により傷病をうけた時は、むしろ原則として同法による援護の対象となるものと解されるのであり、本件事故はたまたま大正一〇年の「サガレン出兵」の際における事故であるため、昭和一二年七月七日以後事変地又は戦地における在職期間内の傷病は、故意又は(当該軍人軍属の)重大な過失によることが明らかでない限り公務上の傷病とみなす旨の同法第四条第二項の規定の恩典に浴することができないので、同法第四条第一項により、本件事故による負傷が(a)恩給法の規定により公務によるものとみなすとき、又は(b)軍人たる特別の事情に関連して不慮の災難により負傷し、かつ援護審査会の議決を経たときの何れかに該当しなければ、援護の対象となりえないとされているに過ぎない。このような見地から恩給法の規定を検討すると、同法第四九条は公務傷病の原因を戦闘、準戦闘公務および普通公務の三種に分けており、この規定と準戦闘公務の内容を規定した昭和二一年勅令第五〇四号による改正前の恩給法施行令(昭和二三年政令第三五九号による廃止前のもの)をあわせ考えると、本件事故は、直接敵と交戦中もしくはこれと時間的に接着した時点における事故ではないから、恩給法第四九条の戦闘、もしくは準戦闘公務のいずれにも該当しないものといわざるをえない。しかしながら、軍人軍属にあつては、実際上の戦闘行為のみが公務ではないこと勿論であり、それ以外の公務によつて傷病を蒙つたときは、普通公務による公務傷病として、恩給法の対象となりうることは、同法第四九条、同法別表第二号表ないし第四号表によつて明らかである。右の普通公務の範囲は規定上なんら限定されていないが、本件事故のように隊長の命令による兵器整備中の事故による負傷は、公務員たる軍人軍属にとつて、当然普通公務に起因して発生した傷病に該当するものと解すべきである。よつて前記①の点に関する被告の主張は失当であり、原告の傷病は援護法第四条第一項前段によつて、恩給法の規定により公務によるものとみなされる傷病に該当するものといわなければならない。

四右のように解する以上は、被告主張の前記②の点、すなわち原告の傷病が、援護法第四条第一項後段の規定によつて、公務上の傷病とみなされるか否かの判断は不要であるが、かりに百歩を譲つて被告主張のとおり、同条同項前段によつては公務起因性が認められないとしても、兵器の装備点検という作業は軍人にとつて必要不可欠の職責というべきであり、したがつて、かかる職責を持つていたことが暴発事故という不慮の災難を招く原因となつて負傷したことは明らかであるから、同条同項後段の規定によつて、援護審査会の議決を経れば公務上の傷病とみなされるものと解すべきである。証人木下勇の証言によれば、援護法の審査ないし裁定事務を担当していた厚生省援護局援護課においては、右後段に該当する事例として、軍人が外出中に上官に対し欠礼をした結果、殴打されたことによつて負傷した場合等に適用していたことが認められるが、かりに本件事故が被告主張のとおり同項前段による公務起因性を認められず、かつ、同項後段にも該当しないものとすれば、軍人が私用中に、しかも本人自身の過失によつて負傷したものというべき前記事例の場合には、援護の対象となりうるのに対し本件の如く公務遂行中に、しかも本人自身になんら過失がない事例の場合には、全く援護法による救済の途がないことになつて、あまりにも不当であるといわなければならない。よつて、この点に関する被告の主張は理由がない。

五、そこで次に被告主張の前記③の点、すなわち原告の不具廃疾の程度について判断する。

〈証拠〉によれば、原告は本件事故による負傷の結果、頭痛、肩凝り、身体の強直けいれん、不眠症等の症状を反覆するようになり、このため朝鮮総督府巡査としての職務の遂行にも多分に支障をきたし、昭和二〇年本籍地に引き揚げたのち右の症状に悩まされ、同二四年一月二一日気仙沼市の猪苗代医院において診断してもらつたところ、膝関節の強直症状と神経痛様疼痛により躯幹の運動が著しく阻害されていること、受傷部の強直疼痛のほか全身特に頭痛および両肩両腕の神経痛様疼痛ならびに間歇的けいれん強直等の症状のあることが認められたこと、原告の右症状は受傷後約五〇年を経た現在もなお継続しており、右各症状は膝関部に残存する弾丸の鉛毒に帰因する可能性も考えられるため、原告はいわば人生の大半を本件事故による右症状に対する懸念と不安のうちに過ごしてきたものであること等の事情が認められる。右によれば、原告の症状は、少くとも恩給法別表第一号表の二の第六項症の一に該当する余地があるものというべきである。よつてこの点に関する被告の主張は理由がない。

六、以上のとおりであるから、援護法にもとづく原告の障害年金の請求は、同法の規定による要件を備え、理由があるにもかかわらず、被告が前記各理由をもつて右請求を却下した処分は明らかに違法であり、重大かつ明白な瑕疵があるものというべきであるから、無効と解すべきである。

そして、原告は右処分の無効を確認する利益を有し、かつ右処分の無効を前提とする現在の法律関係に関する訴によつて目的を達することができないことは明らかなので、本訴請求は理由があるものといわなければならない。

よつて本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。(三浦克己 佐藤貞二 奥山興悦)

要約調書

第一、当事者の求める裁判

(原告)

一、被告が昭和三六年八月三〇日戦傷病者戦没者遺族等援護法にもとずく原告の障害年金交付請求を却下した処分は無効であることを確認する。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決

(被告)

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

第二、当事者の主張

一、請求原因

(一) 原告は陸軍砲兵伍長勤務上等兵として「サガレン」に派遣中、大正一〇年一二月一〇日「サガレン」亜港独立山砲兵第一中隊第一分隊の兵舎内において、分隊長砲兵伍長会田照雄の命により兵器携帯中の整備中に砲兵上等兵清水竜蔵の起した拳銃の暴発事故のため、その弾丸を身体に受け、左拇指爪根部貫通および左膝関部盲貫銃創の重傷を負つた。

(二) 軍病院において左膝関部の切開手術を行なつたところ、弾丸が骨髄中に入つており、その摘出には重大な危険が伴うと判断されたため、拇指の治療と、膝関部の弾道の消毒のみ行われた。原告はその後約四ケ月の治療を受け、大正一一年七月一二日原隊宮城野原独立山砲第一聯隊に帰還し、同年一一月三〇日帰休除隊、大正一二月七日朝鮮総督府巡査となり、終戦により昭和二〇年一二月一日本籍地宮城県本吉郡本吉町に引揚げた。

(三) しかし、その後「サガレン」で傷を負つた拇指および左膝関部の疼痛のほか、頭痛、身体の強直、けいれんおよび不眠等の症状が現れた。

(四) そこで原告は昭和三五年三月三日宮城県民生労働部世話課(現民生部社会課)を経由して厚生大臣に対し、戦傷病戦没者遺族等援護法(以下援護法という)にもとづき恩給法別表第一号表の二の第六項症の二に該当する症状に対する障害年金を交付するよう請求したところ、昭和三六年八月三〇日原告の傷病は援護法に規定する公務に起因して発病したものと認められないとの理由で棄却されたので、同年一〇月一八日援護法にもとづいて厚生大臣に対し不服申立をしたところ、昭和三八年六月二六日右申立を棄却する旨の裁決がなされた。

(五) しかし原告は望みを捨てず、東北管区行政監察局の援助によつて、「サガレン」における暴発事故の際の上官である分隊長会田照雄氏を探し当て、同人よりの現認証(昭和三九八月三一日付)を添付して嘆願書の形式で厚生省に対し、新たに申請したが、なんらの処理回答をなさないので、厚生大臣および総理大臣に対し親展で申請したりしたが、それらの書類はたらいまわしにされ、結局、なんらの誠意ある回答を得られないまま、出訴期間が経過してしまつた。

(六) 原告の傷病は、前記「サガレン」における事故によるものであり、右事故は明らかに援護法第七条第一節、同第四条第一項により準用される恩給法(昭和二一年法律第三一号による改正前の法律)第四九条の「準戦闘行為」もしくは少くとも「普通公務」に該当するものというべきである。

(七) よつて原告は被告に対し前記障害年金交付請求を棄却した処分が無効であることの確認を求める。

二、請求原因に対する答弁

請求原因(一)(二)の事実は認める。 (三)は不知。同(四)は認める。同(五)(六)のうち、原告の昭和四一年一二月二五日付総理大臣宛上申書に対し、厚生省援護局援護課から昭和四三年二月二八日付で回答したことは認めるが、その余は否認する。

被告の主張は次のとおりである。

原告は、原告の傷害は公務傷害であり、戦傷病者戦没者遺族等援護法(昭和二七年法律第一二七号以下「援護法」という)の適用を受けるべきであることを前提として、本件処分が無効であると主張される。しかし、本件処分は次の理由により適法であるのみならず、重大かつ明白な瑕疵は存しない。

一、原告の傷害は、援護法にいう「公務上負傷した傷害」ではない。

援護法は、軍人であつた者が在職期間内に公務上負傷し、又は疾病にかかり、当該負傷又は疾病により不具廃疾となり、昭和二八年七月三一日までに恩給法(大正一二年法律第四八号)別表第一号表ノ二に定める程度(特別項症から第六項症までに定める程度)の不具廃疾の状態にある場合は、その者にその不具廃疾の程度に応じて障害年金を支給することとしている(援護法第七条第一項戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部を改正する法律(昭和二八年法律第一八一号)附則第一二項)。

そして、右の「公務上負傷し、又は疾病にかかつた場合」とは、軍人としての公務遂行と、その受けた負傷又は疾病の間に相当因果関係が認められる場合及び援護法第四条第一項により援護法の適用について公務上負傷し、又は疾病にかかつたものとみなされる場合である(同条第二項、第三項の規定は、直接本件とは関係ない)。

ところで、原告の傷害は、同僚兵が拳銃操作上の基本的事項を遵守すべきであつたにもかかわらず、これを怠つた重大な過失により、不法に原告に対して与えたものであつて、かかる拳銃暴発による傷害は公務遂行を原因条件として生ずると客観的に予測されるものではないのであるから、当該傷害と公務との間に相当因果関係を認めることはできない。さらに当該傷害は恩給法の規定により公務によるものとみなされず(昭和二一年法律第三一号による改正前の恩給法第四八条)、また軍人たる身分や職責を持つていたことが、不慮の災難を招く原因となり、これによつて生じた傷害とはいえないのであるから、援護法第四条第一項の規定により公務上負傷したものとみなすことができない。

二、原告の傷害は、恩給法別表第一号表ノ二に定める程度の不具廃疾の状態に達しない。

援護法は、軍人であつた者の傷害については、不具廃疾の程度が恩給法別表第一号表ノ二に定める程度(特別項症から第六項症まで)の不具廃疾の状態にある場合に障害年金を支給することとしているところ、原告の当該傷害に係る不具廃疾の状態は、第六項症にも達しないと認められるものである。

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